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小雨にそよ風、新茶の出回る春だ。南方から北京へ会議のためにやってきた友人が竜井茶を一箱持ってきてくれた。さっそく淹れると、緑葉に碧色の茶、香気が溢れ、わずかな苦味と甘みのある後味、口中に唾液が湧いた。実にいい茶だ。でも、この素晴らしい竜井茶を生産した茶工場は杭州から数百キロ離れたところにある。「竜井」の名は広く使われている、と感慨に耐えなかった。
当然、火を通した茶葉を杭州からそこまで運んで包装しているとは誰も信じない。杭州で摘んだ茶葉を、竜井の伝統的なやり方で加工しているか、杭州竜井茶の専門家を招いて作業をしてもらっているのだろう。「正統」な「外地」の竜井茶だ。
茶葉の良し悪しは、内在する品質で決まる。産地の土壌や水質、栽培方法や茶を摘んだ時間、日照や雲霧、湿度や微量元素など様々なファクターに制約される。それなりの水や土があるからそれなりの茶葉ができるのだ。それゆえ竜井茶が千年愛されてきたのは、竜井という場所と切り離して考えることはできない。であるから、竜井の竜井と杭州の竜井、杭州以外の竜井は、本質的な差があると言わねばならない。
古人もそう考えていたようで、獅峰と竜井、梅家塢で産する竜井茶こそが正統であるとしている。
去年の春から夏にかけて、北京のいくつかのデパートと茶の販売店で茶葉の加工の実演をしていた。茶葉は空輸し、職人も現地から呼んできたのだ。コストが高いので値段が高く、見ている人は多かったが、買った人は少なかった。その茶は抒情詩や水墨画、バイオリンの楽曲を連想させるほどのもので、実に美しかった。
が、どんなに腕のいい職人がどんなにいい茶葉を加工しても、竜井は竜井、竜井でないものは竜井ではない。もちろん、本物の竜井の高級品は、簡単に買えるものではない。現在「竜井」の名で売っている竜井茶の大部分は竜井という場所で生産したものではない。杭州の周辺か、あるいはもっと遠い所で生産したものだ。「竜井」は果てしないほど大きくなってしまった。
しかし、友人が持ってきてくれた竜井産ではない竜井茶は上等だ。淹れて飲んでみたら、体中が潤い、脇の下にそよ風が吹いたような気がした。私は困惑した。この茶工場はこれほど優良な茶葉を生産できるのだ。有名な茶の名前など使う必要はないのではないか。来客と討論したのだが、こういうことをやるのは自分に対する自信が欠乏しているからだろう。
人も同じだ。素晴らしい能力があっても、自信を持てない人がかなりいる。有名人の名を使ってもったいぶっているような人もいる。そんなことをしていれば疲れてしまうし、無意味だ。
結局のところ、人は人、自分は自分、それでいいではないか。