1930年中国の上海で生まれた李国文という作家が、茶とその他の嗜好品を比較しています。120CE0E2-3F08-4A05-8CAC-48C34AF21B05028EBB29-4953-4BCA-B76E-9DD8BE10DFFED06C5052-6970-4812-97EB-F3B96741631BD0277F9D-AE51-49E3-9132-7650E088AAA161967B52-B897-424A-AD07-9D13DF1F1A7F
茶は人を酔わせる。あの日、私は茶に酔っていたのだろう。
蘇東坡の詩に「戯れの詩を笑うなかれ、従来佳茗は佳人に似たり」という言葉がある。もし酔っ払いの戯言を許してもらうならば、緑茶はあどけない女の子、紅茶は成熟した若い女性、ウーロン茶はその中間の隣家の少女のようなもので、より美しくていとしい。それでは、北京人の愛するジャスミン茶はどうか?軽薄な厚化粧の女性で、本来の美しさが隠れてしまっているように思える。
しかし、茶はいいものだ。一生の最後までつきあってくれる友人かもしれない。
一般的に言えば、タバコは二、三十歳の出しゃばりだ。足を組んで煙を吐き、活発に動き回る。酒は、四、五十歳の交際だ。乾杯すれば情も深くなり、宴もたけなわ、互いの区別もつかなくなる。しかし、六、七十歳以降になると、医者や家族に禁酒禁煙を勧められるようになる。酒やタバコと別れ退屈で仕方がない時、喉が渇いた。どうするか?夕日が沈むような余生を共に過ごしてくれるのは、茶だけだろう。……
言ってみれば、人の一生は「加」と「減」のプロセスだ。まず、「加」が始まり、それが一定の年齢まで続くと「減」に転じ、すべてがゼロになるまで続く。すべての人がこうして徐々にフェードアウトしていく。ずっとついてきてくれるのは一杯の茶だけだ。
茶は素晴らしい。増長していざこざを起こすこともないし、人にも嫌われず、穏やかで清らかな風格を待つからだ。温厚で優しく、環境に順応し、気持ちを愉快にさせるが、矜持と自愛の品徳も併せ持つ。外国人から見れば、「茶」と「中国」は同義語だ。茶が分かれば中国もわかるのである。
 西洋人はコーヒーを好み、中国人は茶を好む。コーヒーは亜熱帯の陽光に満ちた肥沃な土地で育つ。成熟したコーヒー豆は鮮やかな赤い色だが、それは太陽の光を凝縮しているからだ。一方、茶はふつう雲と霧が立ち込め、空気の湿った高山の頂に植えられる。茶の葉はそれぞれ、雲がわき霞がたなびく中、雨露で潤いながら大自然の精霊の息吹を集めているのだ。太陽の光が熱量の総和であるなら、精霊は知恵の結晶だ。それゆえ、コーヒーを飲む西洋人と茶を飲む中国人は、外向的と内向的という違いがある。性格面では衝動的と抑制的という相違があるし、行為においてはかたや意気で事を行い、かたや言葉を慎み注意深く行動する。人と接する際は、西洋人は実際と率直さを重んじ、眼前のことを重視するが、中国人は礼儀と真心を重んじ、将来を大切にする。それゆえ、茶を飲む中国人には五千年の悠久の歴史がある。コーヒーを飲む西洋人にも、輝かしい歴史と長く続いた国家はある。が、現在はすでに滅びたり、ふるわなかったりだ。
 つまり、茶はそれぞれの人の終身の友となりうるから貴いとも言える。その薄味の精神は、各人がよりどころとしなければならないだろう。
 茶を一杯手に取る。たなびく茶の香りの中で、生活の悩みや日々の煩い、仕事上の嫌なことや事業の困難、家庭のもめごとや妻子との行き違い、上司の白眼視などの頭の痛いことをしばし忘れることができる。一杯の緑茶にこれだけの効能があるのだ。確か1949年の冬、北京西部で旗人のおばあさんが淹れてくれた茶には、ジャスミンの花がひとひら浮かんでいた。砂漠を行く探検家がオアシスにたどり着いたようなもので、神の微笑みに等しいものだった。
 薄味の精神は、茶が私に教えてくれたものだ。悟る時期がやや遅かったが、古人の言う「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」という教えに照らせば、悟らないよりはましだろう。……
 もし酒だったら、火に油を注ぎ、一触即発になってしまう。酒の代わりに茶を飲めば、出まかせをいうこともない。食事の時に茶を飲めば、上品で慎み深くなる。この世で最もゆったりと落ち着き、意地を張らないのは茶を飲む人だ。ビールやウイスキーを飲むチャンピオンがいるらしいが、茶を飲む人はこういう記録を創造することには関心を持たない。他人は無関係、自分が楽しめればいいのである。
 コーヒーは強力すぎるし、ココアは甘すぎる。清涼飲料には防腐剤がいっぱい入っているし、サイダー類には化学物質が含まれている。わが国で生まれた飲み物で、舶来品にない素晴らしい長所を持っているのは茶だけだ。心と頭をすっきりさせ、多く飲んでも害はなく、常に飲めば益するところがある。ことに淡白で清らか、穏やかで重厚、純粋でみやびやかな心にしみるその品格は、人としても見習うべきだろう。